2011年12月10日

福岡拘置所の獄中暴行を許すな

くり返される「保護房」での暴力

 福岡拘置所の「保護房」でまたもや「死ぬかと思う」ほどの獄中テロがおこなわれた。
 十月十三日、博多署二三五号同志(〇八年五・二二組対法弾圧被告、 一一年九・二六福岡地裁で実刑判決)は、「保護房」で刑務官五人によって押さえつけられ、暴行を受けた。呼吸困難に陥り、意識を失った。刑務官の一人は、同志の右腕を背中の方にとり、肘を逆関節に固めて伸ばしたままねじり上げた。もう一人の刑務官が、同志の左手を床に押さえつけ、三人一目の刑務官が同志の背中に膝を揃えて勢いをつけて押し倒して、倒れた同志の背中に乗った。さらにもう一人は、床の上に制圧された同志の足に乗った。このとき同志は息ができなくなり気絶した。
 しばらくして意識が戻ったとき、同志は気道からゼーゼーという音が聞こえるほどの呼吸困難におちいっていた。そのときすでに「保護房」の中に職員は誰もおらず、まわりは静かであったという。同志には「数秒の失神」と感じられたが、時計のない「保護房」で正確な時間が分かるはずもなく、刑務官どもが「制圧」=気絶を確認し、同志の動静を確認しながら、同志から順次離れて制圧を解き、「保護房」から出て行き、重厚な扉を閉めるまでには、相当程度の時間が経っているのは明らかである。職員が本人の生死を確認し、後始末をしてひきあげ、扉を閉めるのに少なくとも数分はかかるであろう。
 このときの暴行の指揮者は古川である。古川は暴行のさなかも、「伏せにしますか、よし! 伏せ! 伏せ! 蹴るけんな。用心して下さいよ。蹴るけんな」と言っていたという。同志がこれまで蹴ったことなどないにもかかわらずだ。これは、これまで名古屋刑務所をはじめ「保護房」での虐殺をふくむ刑務官の暴行があとから問題になったり、裁判沙汰になってきたことを総括し、ありもしない事実を自分たちの声で残して獄中者の暴行があったかのように装い、「やむをえない制圧行動」で事態が発生したと居直るために意図的に言っている言葉だ。ビデオ撮影は「暴行の証拠」のためではなく、「暴行を居直る」ために改ざん、編集してねつ造「証拠」とするためだ。

「保護房」収容の経過

 しかも博多署二三五号同志が、「保護房」に収容されることになった経過は、十一月十二日の「死刑を廃止しろ」というシュプレヒコールで、一度は十三日の午後三時に「保護房」を出されたものの、その過程での刑務官による挑発が原因である。
 この間福岡拘置所当局は、東署一三四号同志(同弾圧、実刑判決)や博多署二三五号同志に意識的な挑発行為をおこない、それを口実に「保護房」にたたきこむということをくり返している。
 暴行の下手人に責任をとってもらわなくてはならない。博多署二三五号同志や東署一三四号同志をなんとしても防衛しなくてはならない。すべての獄中同志を防衛−奪還しなくてはならない。一般刑事囚や「死刑囚」に対しては、より露骨な暴力がまかりとおっているのは明らかである。獄中者解放−監獄解体、日帝国家権力打倒をかかげて、突出する福拘−看守への反撃を前進させなくてはならない。

福拘当局と暴行の下手人を許すな

 同じような暴行は、〇九年、三月十二日、東署一三四号同志におこなわれた。このとき同志は、首を絞められ、背中に馬乗りになられ、手足を反対にねじられ、痛みと圧迫で死ぬかと思うような暴行を受けた。そして刑務官どもは気絶した東署一三四号同志を裸にして、衣服で両手両足をエビぞりにして縛りあげ放置するという暴行をおこなった。
 これに抗議し謝罪を要求する闘いが、毎月の「十二日統一行動」として、獄中・獄外で取り組まれてきた。獄中では、点検拒否、ミニ看板、ハンストをはじめとした闘いがおこなわれ、これに恐怖した福拘当局は、東署一三四号同志と中央署五五号同志(〇九年二・一七傍聴弾圧)に「強制給食」拷問をおこなった。強制給食は、ブルジョア法ですら国際的に禁止された拷問である。これを「医療行為」と称して、ニヤニヤ笑いながら拷問をおこなったのが、福拘である。
 五日間のハンストを闘って六日目に入った同志たちに、数人の刑務官が居房の中に突入し、暴力的に連れ出し、医務室のベッドに押さえつけ、タオルで猿ぐつわをかませ、鼻から無理やりチューブを押しこみ、液体を強引に身体の中に入れたのだ。しかも、その液体の入れるスピードたるや、医療現場で定められたマニュアルの数倍の早さというとんでもないことをしたのである。
 五日間も絶食している胃腸に、いきなり、急に大量の液体を入れることなど、それ自身が身体への攻撃であり、拷問である。実際、液体は胃腸に吸収されずに、多くがそのまま肛門から流れ出てしまったのだ。この屈辱。そもそも、ハンストという必死の手段で抗議をおこなう同志に対して、チューブを無理やり入れること自体を許してはならない。
 このときの下手人は、医者の藤沢、そして警備隊の梅崎らだ。

「強制給食」国賠の闘い

 その闘いの一環として、国家損害賠償請求の闘いが、両同志を先頭に組対法攻撃を闘う会によっておこなわれている。獄外でも、暴行以来、毎月かかさず獄中の「十二日統一行動」と連帯して、拘置所への宣伝カーでの抗議行動や、福拘正門前ビラ撒きが闘われている。福拘からこの春奪環された二・一七傍聴弾圧の同志たちは、さっそく獄外からの闘いに転戦して、東奔西走している。まさに、獄中を「出る日を指折り数える場」ではなく、「第二の生活の場」として生きかつ闘う獄中人民とつながりながら闘い、獄外へ出たら獄壁を越えて闘うという同志たちや組対法攻撃を闘う会の闘いに、断固連帯して闘いぬこう。
 「強制給食」国賠において、原告をはじめ闘う会の闘いによって、福岡地裁は、福拘当局に「強制給食」時のビデオの証拠開示を決定した。日本ではじめておこなわれている「強制給食」国賠になんとしても勝利しなくてはならない。

福拘による挑発・嫌がらせ・虐待を許すな

 こうした闘いに追いつめられた福拘当局は、今度は陰湿な虐待・挑発・いやがらせをおこなっている。
 東署十三四号同志に憎悪を集中し、思いつく限りの慮待・挑発行為をくり返している。難癖をつけては「保護房」にたたきこみ、抗議すれば首を絞め、扉に足を挟んで痛めつけるという虐待をくり返している。
 「保護房」の中にわざと味噌汁をひっくり返し、味噌汗を床一面にぶちまけ十時間も放置したり、十二時間にわたって手洗い・洗面用の水を流さなかったり、ありとあらゆる嫌がらせをおこなっている。
 虐待をおこなっているのは梅崎尚秀(うめざきなおひで)を先頭に、通称「カメ」と呼ばれる警備隊員、会計課長の廣田(ひろた)、「洋平(ようへい)」、C棟主任の三谷(みたに)らであり、最近増長しているのが主任の古川である。
 挑発や虐待行為は、いまも続いている。東署一三四号同志は、風呂に入るときに嫌がらせや「過剰な検身」を受け、長期にわたって風呂に入れていない。八月八日に入って以来、つぎに入浴できたのは九月三十日であった。この日は「過剰な検身」がなかったからだ。実に五十三日間にわたって入浴できなかったことになる。真夏のいちばん暑い時期に入浴させないのは拷問である。いまも入浴時の嫌がらせや「過剰な検身」は続いている。
 極めつけは裁判に出ることを妨害し、九月十四日の判決公判に出廷させなかったことだ。そして裁判所には「本人が拒否している」とウソまでついた。福拘当局は「裁判を受ける権利」を侵害したことになる。
 虐待・挑発・イジメは、同志たちに対してだけではない。一般刑事囚、とりわけ何の組織的背景や団結も背景にしていない個人へのイジメ・虐待はすさまじいものがある。看守の虐待は、抵抗・反抗をくじく攻撃として行使されている。毎日のように屈従を強制してくるのが監獄支配だ。獄中人民とともに、分断を突破してうち破ろう。

新たな攻撃、連続懲罰を許すな

 博多署二三五号同志に対しては、懲罰と懲罰の間の期間を短くする攻撃もかけられはじめた。
 十一月に強行された懲罰は、十一月七日に懲罰があけ、十一月九日夕方には「懲罰審杳会の開催等に関する通知書」が来たという。あいだが三日半しかない。十一月十日の午後二時半ころ懲罰開始であった。その前の懲罰やさらに前の懲罰では、あいだがかろうじて七日半あった。これ自体、決して許されるものではないし、そもそも、一回一回の懲罰が不当である。そのうえで、二十五日間とか三十日間という長期の懲罰が強行され、心身への打撃は小さくないなかでの、懲罰ラッシュなのである。ブルジョア法ですら「懲罰の期間」を一定制限しているのだが、懲罰と懲罰の間を短くする攻撃は、実質上懲罰の長期化をはかる攻撃である。
 同志は「獄中闘争がいかに当局の憎しみをかっているかよくわかります」と敵との最前線攻防を闘いぬいている。

北条(小宮山)千秀同志虐殺13ヶ年と「保護房」

 北條(小宮山)千秀同志が勾留中の東京拘置所において九八年十二月十四日「首をつって自殺を図った」とされ、搬送先の病院で翌年一月十一日に死亡してから、十三ヵ年を迎える。
 千秀同志は、九八年五月二十六日、職場があった明大和泉校舎において「明大ゴスペルソング愛好会」(「淀橋教会韓国部」)を名乗る反共ファシスト宗団に襲撃され、顔面負傷と肋骨骨折の重傷を負ったうえに、警察によってでっちあげ逮捕された。
 この襲撃は、明大革命的学生運動破壊を狙った警察・権力とファシストが連携した計画的な襲撃・弾圧であった。ファシストの「売り渡し」も条件としながら、検察・裁判所は、「襲撃」の事実すら百八十度逆転させ、千秀同志らを起訴し、接見禁止攻撃をかけてきた。「ゴスペル」の責任者姜章植(カン・ジャンシク)が旧KCIA=「国家安全企画部」(現国家情報院」)のスパイであることも判明し、日韓治安機関と連携した襲撃であることが明らかになった。
 警視庁公安は、「取調べ」において、極刑攻撃と不屈に闘う北條秀輝同志への憎悪をもって、「北條秀輝と離婚しろ」とどう喝し (千秀同志は秀輝同志の連れ合いだった)、北條秀輝同志の闘いを破壊するとともに、”転向か獄殺か”という虐殺攻撃を千秀同志に集中させた。
 拘禁=政治的暴力的隔離のもと、弁護人以外の者との接見禁止攻撃が継続された。さらに、九八年九・一一第一回公判において、千秀同志たちが「人定」を黙秘したことに対し、裁判長中山隆夫は「言わないと後悔しますよ」とどう喝し、公判終了直後に接見禁止の 「物の授受」禁止への拡大・加重攻撃を加えた。文房具・切手・シャンプーや菓子・果物にいたるまでほとんどの差し入れ・購入を禁止した。千秀同志はこの拘禁攻撃のなかで、不眠や「過換気症候群」などをかかえながら闘っていた。
 獄医−監獄当局は「医療」とは名ばかりの獄中弾圧=テロルの一手段としての投薬=薬漬けを強制した。十二月十日には、薬がおかしいという抗議に対して、「大声を発した」として看守どもによって暴力的に「保護房」にたたきこまれ、「懲罰」対象とすることを通告されていた。十一日の公判闘争を闘いぬいた直後の、十四日の上記の事態である。東拘当局は、直後の対応においても救命を第一には立てず、病院への搬送は発見後約四時間もたってからであった。
 この全過程が虐殺行為であり、われわれは絶対に許さない。

東拘による系統的な獄殺攻撃=虐殺を徹底弾劾する

 国家権力−東拘は、千秀同志を「非公然活動経験者」とみなし、また九一年八月でっちあげ弾圧で束拘に拘禁された時の損当看守が看守長として同志の管理・獄殺攻撃の指揮をとった。束拘−看守らによる系統的・意識的な獄殺である。
 千秀同志が投薬をめぐって抗議したことに対して、看守どもはテロをふるい「保護房」にたたきこんだ。そして、抗議を「大声を発した」として「懲罰」の口実にした。千秀同志は「(テロで)服がドロドロになっていた」と直後の手紙で書いている。獄殺「医療」−薬漬けで状態を悪化させておいて、抗議に対してはテロで圧殺し懲罰というさらなるテロでこたえるなど、むき出しのテロ支配である。
 当日の看守たちの動きは、救命放棄と死を前提にしたものであった。同志と同じフロアの獄中者は、当時入浴時間帯であり風呂の斜め向かいにある千秀同志の房の「異変」に気づかないことは不可解であり、「発見」直後の獄医の「応急処置」が感じられなかったと指摘している。救命救急病院への搬送が「発見」後四時間、その間に意識不明の千秀同志に秀輝同志を二回も引き合わせたことなど、計画的な獄殺と転向攻撃である。
 接見禁止を拡大した当時の東京地裁中山隆夫、東京地検依田隆文、東拘の全関係者に対し、報復戦を貫徹する。

恐慌・戦時下の監獄支配−虐殺攻撃を粉砕し、監獄解体−獄中者解放をかちとれ

 世界恐慌と反革命戦争突撃下で、日帝ブルジョアジー・国家権力は、プロレタリア人民の革命的決起の爆発に身構えた破防法攻撃−治安弾圧の全面化させ、階級支配の”最後の砦”たる監獄のファッショ的強化・再編を図っている。三・一一東日本大震災−福島原発爆発事態は、いよいよもって帝国主義ブルジョアジーどもの支配の根幹を揺さぶりつづけている。加えて、天皇アキヒトの病気−入院や皇族どもの皇位継袋めぐるアレコレのゴチャゴチャは、日帝プルジコアジーの支配の危機をよく現わしている。かれらの危機が深い分、支配階級は、差別主義・排外主義、国家主義を前面におし出しつつ、反革命戦争とファシズムへの突撃により暴力的につき進まざるをえない。官僚的軍事的統治機構のファッショ的再編は不可避である。
 プロレタリア共産主義革命への恐怖という一点で、さまざまな中間層、小ブル層が、差別主義・排外主義の突撃部隊としてうごめいている。そのなかで、看守のファシスト的突出分子を軸とした獄中テロ−虐殺攻撃が飛躍的に激化している。日帝−法務省は、獄中決起に恐怖し、監獄テロ支配への糾弾・解体の闘いを圧殺し監獄制度のファッショ的再編・強化を進めている。
 われわれはプロレタリア革命運動の不可避で死活的な戦線として対監獄(−対看守)闘争を闘う。看守は監獄機構の実体的担い手であり、階級支配の維持・防衛を力とし労働者人民−獄中者の支配・抑圧=虐殺を「職業」とする反革命分子である。革命者・共産主義者にとって非和解的な敵であり、また獄中者の利害−解放にとって打倒対象である。一九四五年八・一五日帝の敗戦直後に北海道旭川刑務所に対して闘われた在日中国・朝鮮人民による奪還−解放の闘いや米軍占領下の沖縄刑務所暴動決起や〇六年徳島刑務所決起をはじめとした獄中者の暴動決起を対象化し、国家の廃絶の一環として、監獄解体をかちとっていこう。
 「病者」差別と獄中医療により虐殺された鈴木国男氏の闘いと無念、保安処分粉砕を闘いぬいてきた「病者」の闘いに学び、監獄解体−「病者」解放−プロレタリア解放をかちとる。

獄中暴行の責任者・下手人に報復を


(「解放」第994号 【福岡拘置所の獄中暴行をゆるすな】)











posted by 三千光年 at 18:29| Comment(0) | 組対法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


           
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