2010年01月03日

<獄中弾圧・テロと獄中闘争>

11・12「天皇在位二十年式典」粉砕闘争と結合したシュプレヒコール決起

11.12シュプレヒコール決起

 朝の点検が開始される。福岡拘置所男区では看守の「点検よーい」のかけ声を合図にするかのように、シュプレヒコールが開始される。まさか自分たちのかけ声が決起の合図になろうとは思いもよらない当局は度肝を抜かれ、警備隊員どもはあわてふためき走り回る。「『天皇在位二十年式典』粉砕、天皇の戦争責任居直りを許さないぞ、沖縄を基地だらけにした天皇メッセージを許さないぞ、ヒロヒトの遺徳を引き継ぐと言いなすアキヒト弾劾、『日の丸・君が代』強制を許さないぞ、右翼ファシストの排外主義テロを許さないぞ、在日朝鮮人・沖縄労働者人民・部落大衆と連帯し闘うぞ、天皇制打倒」など各棟各フロアーから縦横無尽にコールが飛び交い、早朝の拘置所を騒然たる状態にたたきこんだ。ある同志は、アジテーションで闘いをよびかけ、ある同志は「時間差決起で闘った。不意を打たれた看守どもは右往左往するのみで、一斉決起に肩で息をしながら疲弊感をにじませ、それと同義の憎悪の言辞を吐きながら制圧行動に奔走した。結果男区では十五分近くシュプレヒコールが響きつづけた。
 女区では、朝点検の直前に博多署八一号同志のアジテーションが開始され、それを合図に博多署二三四号同志のシュプレヒコールが開始された。「天皇(制)こそ階級社会・差別社会、そして監獄、暴力支配の元凶です。戦犯ヒロヒトこそアジア数千万虐殺の張本人です。南京大虐殺をやり、朝鮮半島から年端もいかない少女たちを拉致・連行し、従軍慰安婦としてじゅうりんの限りを尽くし、沖縄では軍命による集団自決を強要し…」とアジテーションをおこなう。看守どもが舎房に突入すると、今度は西署五二号同志がシュプレヒコール決起する。女区はリレー決起で闘いぬいた。
 またこの日の闘いは、東署一三四号同志がはじめの獄中テロを受けた<3.12>にちなんで<十二日統一行動>の日でもあり、各同志たちは「獄中テロ弾劾−監獄解体、拷問を許さないぞ」のシュプレヒコールも織り交ぜながら、獄中テロ弾劾の闘いとしても貫徹した。こうした闘いは、療守どもを恐怖と憎撒にたたきこんでいる。
 同志たちの決起によって 「点検」は大幅に遅れた。今回の朝点検を合図にしたシュプレヒコール決起は、拘置所当局と看守どもを恐怖のどん底にたたきこんだ。獄中者支配の開始の合図のはずである朝の点検が、同志たちの日々の点検拒否に迎え撃たれ消耗感を募らせているところに、今度は一斉のシュプレヒコールに迎え撃たれたことによって朝の点検は闘いの開始の合図でもあることを刻印したのだ。

憎悪を露わにした報復弾圧との闘い

 一斉決起に対し、福拘当局は同志たちに憎悪をあらわにした報復弾圧に出てきた。今回、博多署二三四号同志、博多署七八号同志、筑紫野署四七号同志、早艮署四〇号同志、東署四五号同志を「保護房」にたたきこんだ。しかし同志たちは、「保護房」をも交流・新たな闘いの場に変えて闘いぬいた。寒い「保護房」で靴下を取りあげたことに対し、共同で「靴下を返せ」と闘いぬいた。またそれぞれの闘いを報告しあい、お互いの闘いに励まされ力を新たにえて、「保護房」に収容されるたびに元気に帰ってくる同志たちに、当局は消耗感を募らせている。東署四五号同志と博多署二三四号同志が収容されている「保護房」エリアでは、「ドアが歪んでいる」とデマを言いながら、工具のようなものでドアをガンガン叩きつけ、抗議する同志たちを無視し、図に乗って食器口やいたる所を叩きつけはじめた。東署四五号同志は、反対にドアを内側から蹴り返し「てめえ顔見せろ、第二統括だろう」と叫ぶと、その”第二統括だろう”という言葉に反応し、ピタリと音が鳴りやんだ。密室で断続的に音を叩きつけるのは拷問の上等手段である。「保護房」弾圧に屈しない同志たちに、福拘得意の拷閻で応えようとしたのだ。
 「保護房」に収容されなかった同志たちは、それぞれ取調室・控え室などに分散・隔離された。同志たちは、制圧後の連行過程でも、さるぐつわをはずしながら、テロを弾劾しつづけた。
 猿ぐつわ状態で二階の取調室に連行された西署五二号同志は、一人椅子に座らされた。周りを第一、第二統括、主任などが威圧的に取り囲む。「おまえらのせいでみんな飯も食えんでハラかいとーぞ」 「こいつら日本語通じんけん」など差別言辞と罵詈雑言を浴びせ、「強制給食、獄中テロ、差し入れ妨害、同じことしか言わん、テープレコーダの入っとるごた」と揶揄しながらも、すべての同志に同様に弾劾され消耗していることを明らかにした。同志が猿ぐつわのまま言い返すと、第二統括は猿ぐつわの後頭部分をつかんで引っ張り、「黙れ」と頭をガクガクとさせたり口元をパタパタと叩いた。同志が「暴行をやめろ」と抗議すると[暴行ではない、最低限の制止」と言うと、第一統括も「最低限の」と強調してみせた。ある男の看守が、女性看守に猿ぐつわ用のタオルを指してこれはこいつの(西署五二号)のか?」と聞くと、この女性看守は「違う、この人たちはこんなきれいなタオルを使っていない、もっとすすけたのを使っているから」と侮蔑しながら二度もくり返した。第二統括は、「ものを大切に使うんだもんなぁ」と嘲笑した。タオルが「すすけている」ことが嘲りの対象となり、それを言えば相手に打撃になると発想し、喜びとし、恥とも思わない感性、そして日々そうしたこともふくめて他者への支配を喜びとする反革命どもの姿である。同様の言辞を各同志たちは看守に吐かれている。
 しかし、こうした闘いは、獄中者の共感をよびおこしている。福拘在監の死刑囚から感激のアピールが寄せられている。十一月十八日には、午後二時ころ、一名の獄中者が「死刑執行反対、死刑執行に反対するぞ」とシュプレヒコールをあげて闘い、「保護房」弾圧を受けている。闘いが新たな闘いを生み、それがまた新たな波及力として拘置所内深く浸透している。これが国家権力が死ぬほど恐怖していることなのだ。
 機関紙のスミ塗り弾圧や各種ビラ、通信の不当な検閲・差し止めは、何より獄中闘争の波及が監獄支配を揺るがすことへの恐怖なのである。

弁護人辞任後の新たな攻撃

 二・一七弾圧−「公判前整理手統」攻防のなかで重大な攻離が統発している。そのひとつは、でっちあげ「保護房」弾圧である。ふたつに、機関紙のスミ塗りや、獄中者組合通信委員会発行の「獄中通信」の不許可など出版物・配布物への不当な検閨、機関紙活動の破壊も企図した獄中者への交通権弾圧の強化である。みっつに、弁護士との交通妨害である。
 第一に、筑紫野署四七号同志に対するでっちあげ「保護房」弾圧である。筑紫野署四七号同志は、現在も毎日朝夕の点検拒否を闘いぬいているが、それを口実とした二十五日間の懲罰(軽塀禁・文書図画閲覧禁止)攻撃のなか、着座強制(決まった場所に決まった姿勢で座ることを強制する)拒否を闘っていることに対し、これを口実とした弾圧をしかけてきた。
 十一月二日に強行されたでっちあげの手順はこうである。まず棟主任が着座拒否に対し「座っていろ」といつものようにイチャモンをつけてくる。当然にも筑紫野署四七号同志もいつものように、「うるさい、暴行に謝罪しろ」と弾劾する。すると主任はそれを合図に担当に「非常ベル鳴らして、大声で非常ベル」と指示し、通常より早く、待ってましたとばかりに第二統括を先頭に十五名前後の刑務官がドカドカと走ってきて、第二統括と第一統括が先頭になって舎房に突入してきた。この二名の統括が先頭で突人してくること自体異例の事態である。「大声」は完全にでっちあげである。同志は、刑務官の突入後は、声を限りに弾劾を開始した。統括に対し「おまえらのやった『強制給食』は絶対許さんぞ」と怒鳴りつけると、役職をカサに威張り散らすことで有名な臆病で小心な統括は、後ずさりし何もできず、結局一般職員が同志を引きずり出した。あせりに駆られた第二統括が「タオルで口を塞げ」と命令し、猿ぐつわをかませて締めあげられた。同志は顔を振って「保護房」までのあいだ叫びつづけた。
 このとき、同じ階にいた博多署二三五号同志は、どからともなく聞こえる非常ベルと直後に隣の棟から十数名の職員のドタバタと走る足音とともに、筑紫野署四七号同志と思われる獄中者が引きずり出され連行される気配を察知し、すぐさま「暴行をやめろ、獄中暴行を許さんぞ」と大声で弾劾した。駆けつけた担当は同志に「何かー。黙っとけー、座っとけー」と怒鳴リ散らす。博多署二三五号同志も負けじと「暴行ばっかしやがって、おまえら絶対許さんからな」と言い返すと、担当は「暴行? 何かあったとか?」とシラを切り、なおも追及する同志に対し「(暴行なんて)知らん、何もない、座っとけ、びっくりするやないか。前もって言えよ」と眼前でおこなわれている暴行すら「何もない」と言い張リ、同志の抗議に対して(抗議することを) 「前もって」予告しろとはどこまでもふざけきった対応だ。しかしこれ自身は、この間の誰かが暴行を受ければ、即座に近くの獄中同志たちが抗議・反撃してきたことに対する当局なりの対処策じある。
 「保護房」に連行された同志は、警備主任の命令で職員に体を床に押さえつけられたため、警備主任、お前のやった数々の暴行には必ず報復する」と弾劾すると、警備主任は顔を引きつらせ、目をそむけた。「保護房」内に最後まで残った第一、第二統括に対し「おまえらがニヤニヤ笑いながら『強制給食』したことの責任を必ずとらせる」と怒りをたたきつけると脱兎のごとく逃げ去った。
 この後医者が来るが、同志の「いつまで入れているんだ、早く出せ」という抗議に対し、大声を上げたわけでもないのに、警備隊長は「大声出すなよー、興奮しているな」とあざけるような言いかたをし、それを医者に確認させることで、「保護房」に入れつづける口実にした。
 また「保護房」では食事をとらないことを知っている第一統括らが、「飯を食え、これは指導だ」とどう喝しにきた。これに対し、同志は「何が指導だ。本当は『強制給食』拷問をやりたいんだろう。第二統括が『強制給食は痛くて苦しいぞ、楽しみやなー』と言って強行したようにまたやりたいんだろう。医療事故を装って殺したいんだろう」と弾劾すると、図星だったのか「そんなことはない。そんなことは誰も言っていない」と動揺をあらわに立ち去った。
 今回のでっちあげ「保護房」弾圧は、明らかに中央署五五号同志への着座拒否の拡大に対する危機感と闘いに対する憎しみによってしくまれた弾圧にほかならない。

機関紙等の塗りつぶし・「不許可」攻撃

 第二の攻撃として、機関紙「解放」塗りつぶし攻撃である。塗りつぶされたのは、九四四号五面の獄中闘争を伝えている<獄中テロ・暴行と獄中闘争>の記事が見出しやタイトル・挿絵をふくめ一文字残らずである。そもそも告知があったのが十一月五日で、それから一週間後の十二日にスミ塗りに「同意」することで交付された。スミ塗りをあくまで拒否した同志は、機関紙そのものの交付が差しとめられたままである。「記載内容に規律秩序を害する恐れがある。一部抹消の上閲読許可する」「拒食・点検拒否を煽る恐れがある」ということをスミ塗りの理由としている。それぞれの同志たちの攻防を要約すると、「いままでもハンストや点検拒否の記事内容はある」が、今回は「書き方、表現の仕方が違う」から「煽る可能性がある」というのである。これは明らかにこの間の獄中闘争の攻勢的な闘いの広がりに対する報復弾圧である。
 同時にこのスミ塗り攻撃は、福拘のみの判断ではないことが判明している。東京拘置所在監の獄申者から解放派弾対部に「解放」の塗りつぶしを知らせる報告とスミ塗りされた機関紙の現物が送られてきている。それによれば、福拘同様九四四号の獄中関連記事の全面塗りつぶしとともに、それ以前の九四二号の「強制給食」弾劾の記事も塗りつぶされていることが明らかになっている。福拘がはじめて塗りつぶしをおこなったのは、九四一号のテロの下手入の氏名と顔写真である。「職員の身の安全」「所内秩序維持の阻害」になるという口実だった。しかし直接職員の所属とは関係のない東拘において、福拘に先駆け全面塗りつぶしをおこなっていたことが明らかになったのだ。これは、国家頂点から獄中闘争の破壊とほかの獄中者やほかの監獄への波及を阻止す.ることを宣言しているということだ。わが同志たちの 「獄中を戦場に」という闘いが確実に、そして監獄内で深く静かに浸透していることに心底恐怖していることの証でもある。この反動を粉砕し、さらに前進しよう。獄中同志たちの闘いに応え、獄外からもスミ塗り粉砕の闘いに決起しよう。
 また禁止措置は機関紙にとどまらない。獄中者組合通信委員会の発行物『獄中通信』も「接見禁止に抵触」を口実に差しとめられでいる。これは博多署二三四号同志が投稿した文書(手紙)をそのままコピーしているということ(『通信』一ページ分)を口実にしているが、つい最近まで手紙をコピーしたものはほかの拘置所・刑務所では禁止になっていない。しかも、当局が作成した「差入物品受付告知票」に記入されておらず、獄中同志たちは弁護士が同封した差し入れ一覧表を見て、あるいは弁護士接見でその存在を知った。その後同志たちの追及で、隠ぺいできなくなった当局が存在を認めたという経過をたどっていることを重視しなければならない。同志たちが追及しても、はじめは「なかった」と言いぬけ、存在を隠せなくなってからは、「弁護士に電話して引き取ってもらった」とウソをついた。弁護士に電話したことは事実だが、長い間そのまま「領地扱い」「留め置き」になっていた(ある同志には「『スミ塗りして交付してください』という願せんを書けば交付してもいい」と分断と屈服を策していることをみれば、そもそも「弁護士が取りにきた」ということ自身がやつ等のデマを証明している)。にもかかわらず当局は居直ったのである。普段から公然と都合の悪い文書はあらかじめ抜き取り、はじめからなかったものにしていることを垣間見せる事態である。
 これらは獄中闘争への報復弾圧であり、二・一七弾圧弁護団の辞任をうけた新たな攻撃へのふみこみである。
 さらに「船場さんを支援する会」の争議ビラすら調査対象となり、一週間差しとめられた。 「獄中テロ」「強制給食」などの用語があるというのがその理由である。結局、ビラは交付されたが、機関紙はスミ塗りに「同意」しなければ不許可、『獄中通信』の不許可は変わらずである。明らかに弾圧がエスカレートしている。不許可攻撃を粉砕していかねばならない。
 また上記の件で、筑紫野署四七号同志が弁護士に国賠請求のための面会要請の手紙を書こうとしたら、「本人にかかわる事件でない手紙は、一般扱いになり接見禁止中は出せない」として不許可になる攻撃を受けている。「本入にかかわる事件」とは二・一七組対法裁判闘争弾圧をさしており、それ以外の件で弁護入に連絡をとることは許さないという攻撃である。 「一部接見禁止解除しなければダメだ」というのだ。弁護人辞任という新たな闘いの局面をうけ、敵は攻撃を激化させている。獄中同志と固く結び、これらの攻撃を粉砕していこう。

ハンスト決起をはじめとした闘い

 十一・一二を前後して、ハンスト闘争が闘われている。県警本部二九号同志、西署五二号同志、博多署八一号同志が抗議のハンストを闘いぬいた。東署一三四号同志は、「スミ塗りは認めない」と宣言し、不許可攻防を闘いぬいている。この通告をしにきたのが第一統括だったこともあり、東署一三四号同志は、<3.12獄中テロ>と「強制給食」を徹底弾劾し、ハンストで闘うことを宣言した。すると第一統括は「抗議するんだな」と吐き捨て立ち去った。東署一三四号同志は、三・一ニテロで負傷した右肩の具合が思わしくなく獄外医療機関での治療要求を闘いぬき(本紙九四四号参照)、十一月十二日はハンストで闘いぬいた。
 また博多署二三五号同志は、十一月十日から十一月十七日の八日間、二十二食のハンストを闘いぬいた。同志は十日、「獄中者への集団暴行とハンストつぶしの強制給食=虐殺『医療』に抗議してハンストに入る」ことを宣言し、ハンストに突入した。同時に点検拒否の闘いとして、点検時 「拷問に謝罪しろ」 「暴行に謝罪しろ」と怒りをたたきつけた。毎日毎日同志は当局を弾劾しつづけた。そうした同志を第二統括は 「ガリガリ君」とあざ笑った。同志はこれを許さず、さらに大声で弾劾をたたきつけ、徹底して謝罪要求をつきつけた。自信のない第二統括は一喝されると逃げ去った。十七日には、診察にきた医師を追及し闘った。 「(強制給食の)直接決定にはかかわっていない」と責任逃れをする医師に対し、「直接かかわっていなくても、ここの医師として責任があるだろう。『強制給食』を謝罪すべきだろう。あれのどこが医療か、謝罪しろ。医師として恥ずかしくないのか。責任取れ、謝罪しろ」と弾劾しつづけた。逃げ去る医者に背中からも弾劾を浴びせつづけた。
 博多署八一号同志は、十一月六日に点検拒否に対する十日間の懲罰が明け、直後から日めくり弾劾スローガンを再開した。西署五二号同志の卓上ミニ看板にしろ日めくりスローガンにしろ、学園拠点での立て看板作成を応用した監獄内での「合法」的弾劾戦術に拘置所当局は、これを禁止する内規がないため苦虫をつぶした顔をしながら通りすぎている。

東署十三四号同志の闘い

 東署一三四号同志が面接要求していた「病者」への差別的対応・「保護房」収容への抗議、ならびに受刑者とともにそれに抗議し、「保護房」から奪い返した闘い(本紙九四四号五面参照−当局はこの記事の全面スミ塗りをおこなった)への報復弾圧としての「通声」でっちあげと転房攻撃に対する撤回要求に対し、当局は「他人のことには答えない」と回答した。
 また同志が受けた<3.12獄中テロ>への謝罪要求に対しては、「そういう事実はない」と完全に隠ぺいすることを宣言した。東署十三四号同志が、「保護房に拘禁したことも認めないのか」と迫及すると、代理回答した主任は「違う。保護房拘禁は認める」と答えた。
 また東署十三四号同志は、十一月二日に医務課長あてに「診察願」を出した。通常は二、三日以内に呼び出しがくるのに、今回は一週間後の十一月九日で、しかもまたもや医務課長ではない医者がやってきた。同志が医師に対し、「直接強制給食をおこなった医務課長でないと答えられないことがあると思い、わざわざ医務課長を指定した」と言うと、医師は「医務課長の指示で今日私が診察をおこなうことになった」と答えた。これで医務課長は、東薯一三四号同志の医務課長指名診察要求に対し、三回連続で逃げたことになる。
 やむなく同志は、その医者に「強制給食」に対して質問した。同志が「(強制給食時に)命にかかわる危険な状態であったか」と聞くと、その医師は「@意識状態A皮膚の張り具合B脱水症状C体重の推移D何食食べていないか−などを医務課長が総合的に判断した」と答えた。そして「強制給食」の決定は、「所長と医務課長の合議によって決定した」ことを明らかにした。また診察した医師は、「強制給食」の意見は言ったが、決定の合議の場にはいなかったことを明らかにし、少しでも自分の関与を薄めようと居直った。また医療行為としての「『経管栄養法』に則った」と言い放った。この医師は八月二十一日の「強制給食」に立ち会った医師である。決定に加わったか否かにかかわらず、下手人の一人である。この医師は同志に「カワシマ」と名乗った。最後に同志は、「どうしても医務課長と直接やりとりをしないとわからないことがある。このままではラチがあかないので、面接願いを出す」というと、同席していた医務課係長は「医務課長は強制給食に関する説明はしないのではないか。面接願いを出しても面接はしない。診察はするかもしれないが、それ以外のことについては回答しない」と拘置所組織ぐるみで医務課長隠しをすることを宣言した。東署一三四号同志は、この発言にますます闘志を燃やし闘いぬいている。
 東署一三四号同志は、寒くなって、刑務官・警備隊にテロを受けた腕や肩への痛みを訴えつづけ、獄外医療機関への診察を要求し闘いつづけている。当局はテロの隠ぺいもふくめ、この要求を拒否している。絶対に許してはならない。
 度重なる獄中での診察要求に対しても、カルテ記載はテロから半年も経ってからである。獄中同志の怒りと闘いに結びつき、同志の獄外医療をかちとろう。獄中決起と結びつき、テロ弾劾の獄外の闘いを強化しよう。

(「解放」第947号 【獄中弾圧・テロと獄中闘争】)



posted by 三千光年 at 16:32| Comment(1) | 福岡拘置所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


           
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